オープンセサミ

医学生が心の扉を解放して書くブログです。ゲーム、読書、勉強などなんでも書きます。ふざけた記事を量産したい。

~Anotherにはまった人必見!十角館の殺人~綾辻行人

ー僕にとって推理小説とは、あくまでも知的遊びの一つなんだ。ー


新本格推理小説の金字塔、「十角館の殺人」の名言である。

十角館の殺人」を読み直してみて、改めて推理小説の楽しさを知った自分は、その勢いでブログに書きなぐっている。
新本格ブームを巻き起こしたこの書籍について、出版された年よりも後に生まれ、新装改訂版を読んでいる自分が語るなんて無礼千万であることは承知の上で、このブログを書き進めていく。

推理小説の読み方について


そもそも「推理小説」を『犯人とトリックを見破ってやろう』という意識で読んでいる人はどれぐらいいるのであろうか。
推理小説を読むからには、犯人やトリックを考えながら読み進めていくのが理想だと思っているが、それをしている人は少ないのではないかと思う。

少なくとも自分はその意識で読破できたことは一度もない。
というか解ける気がしないのである。

ノックスの十戒」や「S・S・ヴァン=ダインの二十則」が発表された1900年代前半には、エラリィが言うようにー読者対作者の、刺激的な論理の遊びーであったのかもしれない。
そういう時代であれば「推理小説を読む=論理的に考えを進めながら読んでいく」ということが出来たのかもしれない。

しかし、現代の推理小説は「解くことのできない推理小説」が数多く占めており、「読者対作者の刺激的な論理の遊び」が出来る作品は少ないのではないかと感じる。
話の筋や登場人物の心情を追い、犯人は『勘でこいつかな?当たったら嬉しいな』ぐらいの認識でしか推理小説を楽しめているのではないかと思う。

勿論この想いは「自分自身がそうだから」であり、自分の印象とは逆に「論理の遊び」に努めている読者や作家が多いのかもしれない。
自分がただの阿呆で一方的に負け続けているだけで、他のみんなは作家と純粋な勝負が出来ているのかもしれない。

また、もしかしたら1900年代より前の時代から、推理小説は「論理の遊び」ではなくなっていたのかもしれないし、初めから論理の遊びではなかったのかもしれない。

真相を突き止めるためには当時の本をもっともっと読まなければならないし、当時の背景を知っていくべきだと思う。
謎を解き明かす気概を持って、過去の作品を読んでいきたいと思う。

話が本の内容と完全にそれてしまったので、ここで終わるわけにはいかない。
本題に戻るとする。

叙述トリックって面白い


自分はこの本を読んで叙述トリックが大好きになった。
色んな視点から話が進んでいき、明かされるまでは誰が犯人なのかはもちろんのこと、誰が被害者になるのかもわからない。

そして最後の最後に、強烈な衝撃をともなって犯人が明かされるのである。
なぜ自分はその可能性に気が付かなかったのか、という衝撃を味わえるのは叙述トリックならではだ。

また、「十角館の殺人」は推理小説をしっていればいるほど楽しめる本であると感じた。
登場人物が冠しているエラリィ=クイーン、ジョン・ディクスン・カー、ガストン・ルルウ、エドガー・アラン・ポーアガサ・クリスティーバロネス・オルツィという著明なミステリ作家の名前をすべてわかる人は名前をみるだけでにやりと出来るのではないか。

そして作中でも言及されているように「そして誰もいなくなった」に寄せられた話が展開されていくにつれ、違うとわかっていつつも自然と考えが誘導されていき、最後に裏切られることになる。
この衝撃を味わうために、この作品を読む前に「そして誰もいなくなった」は読むことをお勧めしたい。

Another好きにお勧めしたい一冊


十角館の殺人」という名作をまだ読んでいない人は多いと思う。
若い人たちの多くは「綾辻行人」といったら「Another」が一番に挙がるのかもしれない。
勿論「Another」も名作であり、大好きな作品ではあるが、自分にとってはやはり「綾辻行人」と言えば「十角館の殺人」である。

むしろ「Another」を好きになった人にこそ「十角館の殺人」を読んでいただきたい。
新たな衝撃を味わえること間違いなしである。