オープンセサミ

医学生が心の扉を解放して書くブログです。ゲーム、読書、勉強などなんでも書きます。ふざけた記事を量産したい。

ただ、単純に、コメントが、欲しかった。

「コメントが欲しい。」


その思いは桜の花びらよりは遅く、ネロとパトラッシュを迎えに来た天使よりは素早く、俺の心に舞い降りた。


「コメントが欲しい。」



コメントが無いブログは、来客が一言も喋ることなく、ただじっとこの部屋のインテリアを眺めているに過ぎない。
怖い、怖すぎる。



無言の貴方に俺はただ一方的に話を捲し立てるだけだ。2人の間に会話はない。
人の部屋に来て無言の男も怖いが、来客がきて延々と言葉を紡ぐ男はもっと怖い。



「この本はね、お酒の好きな貴方に肝臓に良いお酒の飲み方を言教えてくれてね、突然だけどオサムの動画見た?見てないだって!?あれは見るべきだよ、………」



相手ノ応答ナンテ気ニスルコトナク、言葉ヲ繰リ出シテイク、マサニ狂気。



この現状を打破するために、なんとかコメント欄を盛り上げようと苦心した。



読者への問いかけが足りないのか?ここで?みんなに?話しかけているように?すれb?a?みんなはコメントしてくれる?????????????????????????????????????????


それとも会話と同じように相手が話し出すための間が足りないのか。


















コメントした?



苦心すること289年、俺は答えを見つけた。


「話し相手が足りない。」


そうだ。1対1では喋りにくいじゃないか。
1対1が苦手な来客の為にもう一人用意してあげればいい。
話しにくい気まずい友達との関係は、緩衝材となるもう一人の友達を入れることで、円滑に回る。



それから2018年、ついに完成した。




「潤滑油君No.14号」
潤滑油という名前に相応しくない単語を埋め込まれた男の子。記号や英語や数字がごちゃ混ぜになった、「名付け親の顔がみてみたい」と会う人すべてに同じ感想を植え付けること必至のこの男の子。
この潤滑油君No.14号と話すためだけに人々はこのブログに毎日殺到する。
潤滑油君No.14号と話したい人は後を絶たず、潤滑油君No.14号との話が止められなくなる。


帰ることすら億劫になったコメント達はコメント欄に住みだす。
コメント欄でも生計を立てなければいけないから、コメント欄で商売が始まる。
八百屋、肉屋、魚屋、服屋、床屋、、、。コメント欄の居住区を管理して提供する不動産屋まで現れる。
コメント欄は城下町のようになり、この俺はホーム画面で左手にチョウザメの卵、右手にガチョウの肝臓を持ってにんまりと笑みを浮かべながらコメント欄の活気を見守るのだ。


そのうちコメント欄でも愛が育まれ、子をなす。
移住してきたコメントだけだったコメント欄に、コメント欄で生まれるコメントが誕生する。
そしてコメント生まれのコメントどうしでもコメントを成し、コメントがネズミ算的に増殖する。
コメント欄で誕生するコメントが増えすぎた結果、禁断の恋が起きてしまう。



潤滑油君No.14号とコメントの恋だ。



絵とコメントの禁断の恋。
この俺が描いた見るに堪えない絵と「コメント欄生まれコメント欄育ち、文字打つ奴は大体友達」といわんばかりのコメント気質のコメントの恋。



俺は焦り、尋常じゃないほど動揺した。
もしも「潤滑油君No.14号」とコメントの間に子をなしてしまったら、それは「絵でコメントする奴」になってしまう。




俺と絵とコメントと絵でコメントする奴の4人になってしまうのだ。
3人で話した方が会話が進むから「潤滑油君No.14号」を作ったのに、4人では上手く話しに入れない。


他の3人が喋っている横で微笑みを浮かべて立ち尽くし、会話が振られるたびに、「え?ああそうだよね。」と答えるしかない置物人間になってしまう。



そんなのは嫌だ。
俺は必死でとめた。
だが禁断の恋は邪魔者がいればいる程燃え上がる。




その結果、、、、、、







コメント欄が炎上した。


「火事と喧嘩はブログの華」といわんばかりに大炎上した。
その炎上は次第にコメ騒動になり、最終的にコメント乱になった。



燃えに燃えて荒れ果てたコメント欄に、コメントは住むことができなくなり、コメントが流出した。
移住してきたコメントも、コメントから生まれたコメントも、コメントになりきっていないコメやントもすべて流出した。



全てを失った後、つまり現在、俺はどうしようもなく


「コメントが欲しい。」